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2011年12月 8日 (木)

ヒスイ海岸と北陸道の難所・親不知

最初に、先日から写真を撮る回数が減る冬場はブログに何を書こうかと数日考えていました。
そして思いついたのは、HDDにある写真を使って富山県内の市町村の魅力を紹介するでした。
今までと変わりませんね!( ´艸`)プププ
私が撮影した写真からですので、市町村の一部しか紹介する事はできませんが、宜しかったらご覧下さい。


それでは富山県の最も東側にあります下新川郡朝日町から参ります。

今回は、朝日町のヒスイ海岸と新潟県の親不知を紹介させて頂きます。
写真の右奥に見える山の先は新潟県になります。
越後と越中の間を往来する旅人は、この断崖を海岸線に沿って進むしかありませんでした。
古くから北陸道の最大の難所として知られて来ました。
上杉謙信も、この海岸線を通って越後から越中へ進軍して来ました。

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北陸自動車道が開通するまでは、新潟に向うには海岸線に沿った国道を行くしかありませんでした。
そんな大昔の話しではありません。
私が車の免許を取った時は北陸自動車道は全線は繋がっていませんでした。
新潟に向うには海岸線を走る国道8号線を慎重に進むしかありませんでした。

この海岸線の地区の地名は親不知(おやしらず)、そして子不知(こしらず)と言い、総称して「親不知」と言います。

Dsc_3499_1280x857
「 親知らず、子はこの浦の波枕、越路の磯の泡と消え行く」
平清盛の弟の平頼盛の夫人がここを通る時、連れていた幼子を落としていまい波にさらわれてしまった。
その時、悲しみのあまりに詠んだそうです。ここを通ることの難しさを現しています。

(上の写真の岩は左は投岩、右は鬼ケリ岩です。親不知ピアパークから撮影。)

Dsc_3401_1280x857
皆さん海岸で下を見て何をしているんでしょう?
そうなんです、ヒスイの原石を探しているんですね。でも、そんなに簡単には見付かりませんよ!見付けたことありません。


昔、子供の頃に波で丸くなったガラスの破片をヒスイを見付けたと思って、何年も宝物にしていた事がありました。

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コメント

親知らずは 難所でしたよね昔は、。
親が渡れても 子は渡れない・・・。悲話が たくさんあったようで・・・。
ヒスイは 姫川にもたくさんありますよね

17、8年ほど前は、朝日~上越間は、ほとんどが2車線区間(対面通行)でしたので、
怖かったですよ(今は、平気ですけどね → 横風が吹いている時は、怖いけど)

東海北陸道や常磐道も、対面通行区間が多いので・・・

前者は、交通量がそれほどでもないから、まだいいけど、
後者は、それなりに交通量があるだけに、怖かったです。

まぶちょんさん、有難うございます。
早く元気になってね!小学生の時、先生から聞きました。
波と波の、ほんの少しの時間に進むしかない恐ろしい道だったそうですね。

R.Ptarmigan さん、有難うございます。
北陸道が開通して、少しした頃に亡くなった父親を助手席に乗せ上越まで
走った思い出があります。父と二人っきりで車に乗ったのはこの時だけでした。
車は、一番最初に乗ったスカイラインのジャパンでした。

すいません、常磐道ではなくて、磐越道の間違いです・・・
(1000円が終わる前に、喜多方までドライブしたので 
  → もっとも、会津若松の手前で降りましたけどね)

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