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2012年2月29日 (水)

正力・小林記念館

射水市の写真5は射水市にある「正力・小林記念館」です。
場所は、射水大門総合会館の1階にありました。

正力松太郎氏はご存知ですね。お名前ぐらいは聞かれたことありますよね。
正力松太郎 1885年(明治18年)4月11日 – 1969年(昭和44年)10月9日

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読売新聞社の経営者として部数拡大に成功、「読売中興の祖」として大正力と呼ばれたそうです。
プロ野球の父、テレビ放送の父、原子力発電の父とも呼ばれていた富山が生んだ偉人です。

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富山県射水郡枇杷首村(現射水市)に土建業を営む父・正力庄次郎、母・きよの次男として生まれ、
雄神小学校、高岡中学(現富山県立高岡高校)から、東京帝国大学(現東京大学)に進みました。

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警察官僚を経て1924年(大正13年)に読売新聞の経営権を買収、第7代社長に就任。
1934年(昭和9年) 大リーグ選抜チームを招聘、巨人軍創立。
1949年(昭和24年)プロ野球初代コミッショナーに就任。
1952年(昭和27年)日本テレビ初代社長に就任。

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1955年(昭和30年)衆院議員に当選。1955年と57年に国務大臣に2度就任。
1965年(昭和40年)高岡市名誉市民、大門町名誉町民となる。
1969年(昭和44年)国立熱海病院で死去する。享年84歳。

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凄い、こんな人が富山から誕生していたとは、申し訳ありませんが知りませんんでした。Σ(゚д゚;)。
殆どがSILVIAおじさんが生まれる前のことで正力松太郎氏が富山出身とも知りませんでした。
高岡では、読売新聞が強いと言われる由縁はここに有るのだと勉強させて頂きました。∑(゚∇゚|||)。

でも、「正力・小林記念館」の小林さんは誰だろう!

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コメント

この方の話は 母に聞いていたので、知っていましたが、その後継者の小林氏のことは 知らないです。ともに大門の出身とか?富山からの偉人はほんとにすごいですよね!誇りですよね~♪

小林與三次さんで、正力松太郎さんの娘さんのお婿さんのようですね。
大門町出身でイカダ船の船頭さんの三男だそうです。人生、運が必要ですね。

SILVIAおじさんさま
読売新聞は戦前、高岡出身の正力さんが買収、その後A級戦犯容疑とか公職追放に有ったりもしましたが
現在の基礎を構築しました。勿論 巨人軍も、その後日本TVとかTV業界へ進出、小林与三次さんは
正力さんの女婿で、務臺光雄さんの後、読売グループの社長・会長として更に発展に寄与された人物ですね。
出身地である高岡駅前にある北陸支社も現地印刷の先駆けとなりました。
読売グループは小林さんが会長になり、更に現在はナベツネこと渡邊恒雄さんが社主みたいに
振る舞っています。
富山はその後、金岡さんとか先見の明に優れた逸材を多数輩出しました。

輝ジィ~ジ様
富山を代表する偉人達がいたからこそ、現在の富山がある。
先人達の苦労を、現在を生きる私達が忘れてしまっては行けませんね。

先日、逮捕されたオリンパスの副社長さんは森富山市長の弟さんだそうです。
森市長さん、今は表にあまり出てこられません。

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