富山大空襲を語り継ぐ
富山市街地が燃えて空が真っ赤になっているのが、30㌔以上離れた砺波からも見えたそうです。
亡くなった母親は、富山市中心部の星井町に住んでいましたが、郊外に逃げて兄弟姉妹と熊野川の中に入っていたそうです。川の水が熱かったと言っていました。母親が14歳の時です。
焼け跡に残っていた建物は富山県庁、NHK富山放送局、富山大和と富山電気ビルだけだったそうです。
焼け焦げた人間が富山大和さん近くに山のように高く積まれていたのを母親は見たと言っていました。
「どうして富山市が空襲されたんですか?」と私より少し年下の30代の方に聞かれたことがあります。
私は母が富山大空襲の体験者だったから子供の頃から聞いていましたが、富山市以外の人達は、親から聞くことも無かったでしょう・・・。
新潟県長岡市街地を襲ったB29は、約2時間後に富山市街地を徹底的に空爆。
富山市内で大量の武器を造っていた企業があったから、米軍は富山市の市街地を叩き潰しました。
学校の先生から聞きましたが、広島、長崎に落とされた原爆の一つは当初、富山に落とされる計画があったそうです。NHKの戦争回顧番組でも同じようなことを放送していました。
武器を大量に造っていたのと、高い山に囲まれていて被害が拡大しないだろうと想定していたようです。
でも、最終的には計画変更で広島、長崎が犠牲に・・・。
全国にも名前が知られる「長岡花火」も長岡空襲犠牲者1500人の鎮魂の花火だそうです。そして富山の花火は富山大空襲の犠牲者2737人の鎮魂の花火です。
ご覧頂き有難うございました。
「万灯みたままつり」と写真の順番は関係ありません。 NIKON D7000撮影
8月11日、富山市の街なかで富山大空襲の体験者と中学生、大学生が語る、
「まだ、戦争には間に合う」 が開催されます。
誰かが、「語りべ」として富山大空襲の悲惨な出来事を次の世代へ伝えて行かなければなりません。
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