富山城の石垣に400年前の刻印
先日、『富山城・城下町の解明』のセミナーに出席しました。セミナーで富山市埋蔵文化センターの解説員の方から面白い話しをお聞きしましたよ。
現在、富山城址公園にあります「富山城」は、昭和29年に富山産業博物会が開催された際に建てられた鉄筋コンクリート構造です。通称で「富山城」と呼ばれることになったそうで、当時から「富山市郷土博物館」として運営されています。
石垣職人といえば滋賀の「穴太衆(あのうしゅう)」・・・日本史に興味がある人だったら誰でも知っているよね。
現在の鉄筋コンクリート構造の富山城の石垣は「野面積み」というそうだけど上手に積まれているよね。
数カ所に大きな石が使われているんだけど解説員の方が、
「その中の大きな石に富山城が築城された400年以上も前(築城1543年)に刻まれた刻印が残っていました。」・・・これ大発見
だそうです。
その大きな石と刻印を探しに富山城へ出掛けましたが見付からなかったですね。申し訳ないけど大発見
の割には知らない人が多くて・・・誰か知っている人がいたら教えて欲しいです。
富山城で石垣の写真撮っている人がいたら・・・私か解説員の方です。
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こんばんは。
400年前の刻印は気になりますね。
探すのは大変そうです。
富山城は神保長職が水越勝重に築城させたとか。
どんな刻印なのでしょうか。
投稿: morimoridx | 2016年6月25日 (土) 20時39分
morimoridxさん、おはようございます。
富山藩、加賀藩は卍の刻印を用いるそうですよ。
城址公園に唯一残っている築城時に櫓があった石垣(現在は立ち入り禁止)ではなく、昭和29年に造られたコンクリート城の石垣だそうです。新幹線で到着された観光客さんが、富山城を見学しておられるのを見掛けますが、申訳なく感じてしまいます。
投稿: SILVIA おじさん | 2016年6月26日 (日) 09時36分